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ヘンデル その1

こんにちは。院長の波木です。

 

バロック時代の巨匠ヘンデルの名前や彼の曲を知っている、
あるいは聞いたことがあるという方は多いと思います。

 

また、知らず知らずのうちに聴いていた曲が
ヘンデルの作品であったということもあるでしょう。

 

今回は、バッハと同じ1685年に、
同じドイツで生まれたヘンデルについて、
お話ししたいと思います。

 

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ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
(George Frideric Handel 1685-1759)
作曲家、オルガニスト

 

 

1685年ドイツ・ザクセン地方のハレに生まれる。
ヘンデルは幼少時から非凡な音楽の才能を示していたが、
父は息子が音楽の道へ進むことには反対していた。
隠れてクラヴィコードを練習し、才能を見せるようになる。
聖母マリア教会のオルガニストだったツァハウ(1663-1712)に、
オルガン、チェンバロ、ヴァイオリンを習ううちに師を凌ぐようになる。

 

「隠れて練習するヘンデル」

 

ハレ大学に入学、法律を学ぶ予定が音楽への興味が勝り、
大学を辞め、ドイツでもオペラが盛んであったハンブルグへ移る。
ゲンゼマルクト劇場でヴァイオリン奏者として採用され、
その後チェンバロの通奏低音奏者や演奏監督として活躍するなど、
実地の経験を積みながらその影響を受けた。
1704年当時のハンブルク・オペラの中心的な作曲家カイザーに代わって
ヘンデルがオペラを作曲することとなった。
ヘンデルにとって最初のオペラ「アルミーラ」は大成功を収めた。

 

その評判を聞いたトスカーナ大公子フェルディナント(メディチ家)から
誘いを受け、1706年から1710年までイタリア各地を巡った。
ローマではオペラの上演が禁止されていたため、
ヘンデルはオラトリオを作曲している。
フィレンツェで最初のイタリア・オペラ「ロドリーゴ」が上演された。
1708年にはオラトリオ「復活」が上演され、
ヴェネツィアで上演されたオペラ「アグリッピーナ」は大成功を収めた。
外国人の作品がこれほど成功するのは異例であったが、
周辺国の侵攻や経済的没落により
斜陽を迎えていたイタリアに留まる理由はなかった。

 

1712年にロンドンへ移住すると、イギリスの音楽シーンで活躍し、
「水上の音楽」を発表。
貴族たちによってオペラ運営会社「王室音楽アカデミー」
中心的人物となった。
1723年に王室礼拝堂作曲家に任じられていたヘンデルは
1727年にはイギリスに帰化する
ロンドンでの初期の活動はオペラ作品が主であったが、
次第にオペラ熱も冷めていき、
後期にはオラトリオが中心となった。

 

現在も知られているヘンデルの曲の多くは、
1739年以降に作曲されている。
1740年合奏協奏曲集「作品6」を出版。
1742年初演の「メサイア」は大好評であった。
1749年「王宮の花火の音楽」を発表。
1751年左眼の視力の衰え、やがて右眼の視力も弱り、失明。
1759年体調の悪化により74歳で死去。

 

ひっそりと埋葬されることを望んだ本人の願いにもかかわらず
3000人もの民衆が別れを惜しむために押し寄せ、
無数の追悼文が新聞や雑誌を賑わせた。
のちに伝記が記されるなど、
作曲家としては異例の扱いを受けた。
ヘンデルは生前から高く評価され、没後すぐに神格化された。
当時としては初めての試みである作品集が死後出版され
多くの合唱団にその音楽が受け継がれたこともあり、
ヘンデルは名声が没後も衰えなかった最初の作曲家となった。

 

バッハが教会音楽を中心に内省的で重厚な作風であったのに対し、
ヘンデルはエンターテインメントとしての音楽を
いかに作っていくかということを常に考えていた作曲家であった。

 

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今回取り上げるのは、オペラとオラトリオ。

 

オペラ
舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で
演劇と共通しているが、セリフだけではなく、
大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で
進められることを特徴とする。

 

オラトリオ
元は宗教曲で、聖書などから取った台詞を多用し、
オペラと同様の音楽形式で進められるが、
舞台装置やセリフ、衣装、大道具などはなく、
声楽とオーケストラで演奏される。

 

最初に紹介するのは、誰もが知っているこの曲。
しかし、大半の人がヘンデルが作曲したということを知らない。

 

☆オラトリオ「ユダス・マカべウス」HWV.63より
「見よ勇者は帰る」(1746年)「Judas Maccabaeus」HWV63,
Part3-58 ’See, the Conqu’ring Hero Comes’

 

 

オラトリオ「ユダス・マカべウス」の第3部に登場するコーラスで、
戦争で活躍した公爵の帰還にあわせて書かれた作品。
英雄ユダの凱旋を民衆が歓喜とともに迎える場面を表現している。

 

世界各地で大会の優勝者を称える曲
表彰状授与のBGMとして定着している。

 

 

☆オラトリオ「メサイア」HWV.56 より「ハレルヤ・コーラス」(1741年)
「MESSIAH」HWV56 / Part2 ‘Hallelujah!’ Chorus

 

オラトリオ「メサイア」は、バッハの「マタイ受難曲」と並ぶ
宗教曲の傑作として、世界中の音楽愛好家から高い評価を受けている。

 

 

「ハレルヤ・コーラス」は名実ともにヘンデルの作品で最も有名な曲
シンプルな旋律だが、荘厳で美しい。
キリストの復活と最後の審判を讃える力強い合唱で構成されている。

 

 

☆オペラ「リナルド」HWV.7a より「私を泣かせてください」(1711年)
「Rinaldo」HWV7a ’Lascia ch’io pianga’

 

このアリアのオリジナルの旋律は、
オペラ「アルミーラ」でサラバンドとして作られた。
その6年後「リナルド」のアルミレーナのアリアとして
再使用されたのがこの曲。

 

 

ストーリー:
十字軍騎士リナルドには、総司令官の娘アルミレーナという許嫁がいた。
ところがエルサレム征服まであと少しというところで、
魔女アルミーダにアルミレーナが誘拐され、
敵軍の王アルガンテに求愛されるが、
愛するリナルドへの貞節を守るため
「苛酷な運命に涙を流しましょう」と歌うアリア。

 

歌詞:
「どうか泣くのをお許しください
この過酷な運命にどうか自由にあこがれることをお許しください
わが悲しみは、打ち続く受難に鎖されたまま
憐れみさえも受けられないのであれば」

 

歌詞の内容は、悲しみを表すものだが、
天上を想起させるような儚くも美しい調べになっている。
たびたびドラマの挿入歌などに使われている。

 

 

☆オペラ「セルセ」より「オンブラ・マイ・フ」(1738年)
「Serse, Xerxes」HWV40, Act I ’Ombra mai fu’

 

 

ヘンデルは没後も名声が落ちなかったが、
レパートリーに残ったのはごく一部の作品だけだった。
オペラ作品についてはほとんどが忘却され、
「セルセ」もその例外ではなかったが、
「オンブラ・マイ・フ」だけが 19 世紀に「ヘンデルのラルゴ」の名で
愛唱されるようになった。
1906 年ラジオの試験放送で
「世界で初めて電波に乗せて放送された音楽」でもある。

 

このアリアはオペラ「セルセ」の第1幕冒頭で歌われるもので、
ペルシアの王「セルセ」が
プラタノの木陰に向かって歌う場面で知られている。
歌詞は木陰の美しさと涼しさを讃えるもので、
セルセの愛情を表現するために使われている。

 

歌詞:
かつて、これほどまでに
愛しく、優しく、
心地の良い木々の陰はなかった

 

下降と上昇を組み合わせた美しく伸び伸びとした旋律を、
優雅な伴奏が支える。

 

 

☆オラトリオ「ソロモン」HWV.67より
「シバの女王の入城」(1748年)「Solomon」HWV67,Part3
’The Meeting of King Solomon and the Queen of Sheba ‘

 

「シバの女王のソロモン王への訪問」

 

第3幕にふたつのオーボエと弦楽器による
短く生き生きとした曲想で知られるシンフォニア。
その部分だけが有名になり、しばしば結婚式で演奏されるほか、
ロンドンオリンピックの開会式で演奏された。

 

 

軽妙で華やかできらびやかな曲想は、
まさしく女王が城に入っていく様を思わせる。
ふたつのオーボエのハモりが秀逸。

 

 

☆オペラ「エジプトのジューリオ・チェーザレ」HWV 17より
「難破した船が嵐から」(1724年)
「Giulio Cesare in Egitto」HWV17, Part3 ’Da tempeste il legno infranto’

 

 

「ジュリオ・チェーザレ」とは、「ガイウス・ユリウス・カエサル」
(英語表記でジュリアス・シーザー)
古代ローマ帝国の軍人を主人公にしたオペラ。
1724年にロンドンで行なわれた初演は大成功を収め、
ヘンデルをロンドン・オペラ界を代表する作曲家にした作品。

 

 

「難破した船が嵐から」は、
海で死んだと思われていたチェーザレが生きていた喜びを、
クレオパトラが歌い上げる場面で使われる。

 

メリスマ(歌詞の一音節に対して複数の音符を割り当てる歌唱様式)を
多用する技巧的にも難しい曲。
希望を抱かせるような早いパッセージを、上下に激しく動かす印象的な曲。

 

 

ここ数十年間は、長い間見捨てられていた
ヘンデル・オペラの復活気運が高まり、
「ヘンデル・ルネサンス」とも言われている。

 

次回は、ヘンデルの管弦楽曲、器楽曲を取り上げます。

 

 

 

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